長崎の出来事

長崎は雲仙普賢岳で大規模な火砕流発生し、報道関係者なども巻き込まれ43人死亡(1991年)

普賢岳火砕流>3日で16年…追悼「いのりの灯」


43人の犠牲者を出した長崎県雲仙・普賢岳火砕流から3日で丸16年を迎えた。多くの団員が亡くなった同県島原市消防団の詰め所跡やその周辺では関係者約120人が集まり、火砕流のあった午後4時8分に黙とうした。同市平成町の雲仙岳災害記念館前ではキャンドル約1000本をともす追悼行事「いのりの灯(ともしび)」が初めて催された。
 同市北上木場町の詰め所跡では、防災無線によるサイレンを合図に黙とう。亡くなった消防団員、山下日出雄さん(当時37歳)の次男優樹さん(28)が、父を含む12人の団員と住民ら31人の犠牲者分の1回と合わせて計13回、鎮魂の鐘を打ち鳴らした。優樹さんは「長いようで短い16年でした」と語った。
 「いのりの灯」は、島原青年会議所などでつくる実行委が子どもたちに災害を語り継ごうと催した。牛乳パックを使った手づくりキャンドルに子どもたちが普賢岳の絵などを描いた。



もう16年も経っているんですね。


それと今日は不発弾撤去処理が長崎であったらしいね(;^_^A アセアセ・・・


長崎市飽の浦町の不発弾処理終了 避難勧告を解除


 長崎市は三日、同市飽の浦町の工事現場で見つかった不発弾の処理作業を実施し、同日午後一時四十分に処理作業を無事終了、避難勧告を解除したと発表した。

 同市不発弾処理対策本部によると、自衛隊の処理隊が、長さ約一・三メートルの不発弾の信管を除去するなど慎重に作業を進めた。

 同市は現場から半径五百メートル以内に避難勧告を出し、住民約四千人が近くの公民館などに退避。処理作業終了に伴い、市は防災無線などで避難勧告解除を知らせ、付近五カ所の交通規制も解除した。